節 分
由来:いわれ
- 一年の災難と農産の害虫、又は身体の虫を退治すること
- 豆を天神様や氏神様に供えてからまいた
いつごろから
- 子どものころ(大正8年)からしていた
どのように行われたか
- 2月3日 玄関に柊(ヒイラギ)の木に鰯(イワシ)の頭を付けて刺し
- 豆を焙烙(ホーロク)に入れて唾(ツバ)をかけながら大豆の枝の火で炒った
- その豆を、玄関や外便所に「福(フク)は内(ウチ)、鬼(オニ)は外(ソト)」と言いながら撒いた。(鬼は外を言わない家もあった)
焙烙 |
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柊 学名:Leiognathus nuchalis 花期:晩秋 |
今年は2月3日が節分です。節分というのは立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをいうのですが、特に立春が1年の初めと考えられることから春の節分が最も重視されており、一般には単に「節分」といえば春の節分を指すものとなっています。これは立春を新年と考えれば大晦日に相当する訳で、そのため前年の邪気を全て祓ってしまうための追儺(ついな)の行事が行われます。その代表が「豆まき」です。
豆まきでは年男(その年のえとの生まれの人:今年12,24,36,48,60,72,84,96,108,120歳になる男性)あるいは一家の主人が「福は内、鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれから1年病気にならないと言われています。また妊婦のいる家庭ではこの豆を安産のお守りにもします。もともと宮中の行事が一般家庭に普及したものとされますが、最近は大きな神社などで芸能人やスポーツ選手などを招いて豆まき大会をやっているケースも多いようです。
さて、この大豆ですが、硬いですね(^^)
硬いものというのは「木火土金水」の五行では「金」に属します。この大豆は最初煎ることによって火気にあてられ「火剋金」の原理で剋された上に、「鬼は外」といって外にまかれて捨てられたり、「福は内」といってまかれてから人々に食べられたりして、要するに豆はみんな「やっつけられてしまいます」。
古来疫病や災厄というのも金気に属するものと考えられていました。ですから豆というのは実は鬼をやっつける道具でありながら実は鬼そのものでもあるわけで、豆まきというのは邪気を祓うとともに、「金」の気を剋することで「金剋木」で金気に剋されるはずの「木」の気、つまり春の気を助ける行事、つまり春を呼ぶ行事でもあるのです。
豆まきの豆について
豆まきの豆について、重要なことのひとつは煎り豆を使うということです。万一生豆を使って、拾い忘れたものから芽が出るとよくないことがある、と言われています。
また近年、「下に落ちた豆を食べるなんてきたない」といって、大豆ではなくピーナッツを使う人たちが増えています。この風習は新潟地方から広まったようです。
なお、家庭によっては豆だけでなく、チョコレートやキャンディ、またお金を包んだものをまいたりもするようです。
鬼は外ではない?
一般的な豆まきの口上は「鬼は外、福は内」で、少なくとも室町時代にはこの口上ができていたらしいのですが、そう言わないところも数多くあります。これは豆まきの風習が全国に普及していくなかで出来ていったバリエーションではなかろうかと思われます。
例えば起源がはっきりしているものとして、福島県の二本松地方では「鬼は外」とは言わないか、あるいは「鬼外」と「ワ」の音を抜かします。これは二本松藩の殿様は丹羽氏なので、「鬼は外」と言うと「お丹羽様外」になってしまうからだといいます
出典:http://www.ffortune.net/calen/setubun/mamemaki.htm